2026.03.2|歳をとるということ

設計の現場で、「将来の介護を見越して計画したい」という話を聞くことがある。

共通しているのは、
いかに現場の人に迷惑をかけずにいられるか、
という視点。

皆さん、本当によく考えている。

そんな話を聞きながら、以前友人に聞かれたことを思い出した。

「VIO脱毛を考えてるんだけど、どう思う?」

同僚たちに勧められたらしい。
なぜ?と聞いたら、

「将来、介護になったときにヘルパーさんに迷惑をかけないため」

だそうな。

そんなところまで考えるんだ、と正直びっくりした。

でも想像してみると、確かにツルツルの方がお世話しやすいのかもしれない。
赤ちゃんのお尻は、ささっときれいにできるものだ。

それにしても。

歳をとるというだけで、こういう事にも気を使わないといけないなんて。

私自身、介護の現場を直接知っているわけではない。
ヘルパーさんのしんどさも、また聞きや想像の範囲だ。

だから、考えが甘いかもしれない。
現場を知っている人から、お叱りを受けるかもしれない。

本当に介護現場は余裕がなくて、問題も山積みなのだと思う。
だから皆さん、ここまで気を使っているのだろう。

もちろん私だって、ケアしてくれる人に迷惑をかけたくないし、嫌な思いもしてほしくない。

ただ、誰も迷惑をかけたいわけではないはずだ。
ケアする側もされる側も、お互いを尊重したいと思っているんじゃないだろうか。

それなのに、「迷惑をかけないように」という方向にばかり気持ちが大きくなっていくのは、ちょっと息苦しいな、と感じてしまった。


以前、設計の勉強会で、
最近は、生まれるのも最期を迎えるのも病院、葬儀はセレモニーホールなので、住まいから「生」と「死」が消えた、という話題になったことがあった。
そういう命の根源的な事柄が、住まいから失われてしまっていいのだろうか、という主旨であったと記憶している。

昔のように戻ることは難しいけれど、もし暮らしの中で「生」と「死」に思いを馳せることが失われたら、家はただの入れ物になってしまうのではないか。

今、結論は出せない。
ただ思うことは、住まいを設計する立場として、人が弱ることや支え合うこと、さらに言えば、生きる喜びを感じられる空間をつくりたい、ということだ。