個の集まりである家族と、その住まいについて

今、私はどんな家に住みたいのだろう?

ふとそんな考えが浮かんで、つらつらと手を動かしてみました。
居間(L)を中心に、その周りに個室(R)、キッチン(K)、ダイニング(D)、水回りが上下に配されていく。
そんな空間の構成が浮かんできました。

個人のスペースはあるけど、閉じこもらない。
壁はなくてもいいので、スキップフロアにして区切るくらいで良い。
個室(R)がゆるやかに居間(L)とつながっている、そんなイメージ。


私にとって居間は家族の公共の場です。
外の世界(=社会)と内面の世界(=個人)をつないでくれる、「間」の世界。
そして、家族とどう関わりたいのか——その在り方を、そのまま空間に表せる場所でもあります。

そんなことを考えながら、
学生の頃に大きな影響を受けた、
山本理顕さんの「住居論]や黒澤隆さんの「個室郡住居」といった、
住宅のあり方を示した思想の影響をいまだに強く受けているな、と思いました。

家族や個人のありようについて興味があった私は、
お二人の考えに触れて解放されたような感覚を得たことを覚えています。

そのインパクトのある出会いから時がたち、
生まれ育った家族から離れて一人暮らしをしたり、結婚して子供が産まれ、自分の家族ができた今も、
「個人を単位として考える」という視点は変わっていません。

個人の尊厳があって、
誰かのそばにいること、誰かがそばにいてくれることの良さや喜びみたいなものがあって、
それがやがて社会の一員であることの誇らしさや喜びになり、
さらに言えば、人間は大きな宇宙の小さな地球の中の点のような存在だけど、
それでも私たちは存在し、日々生きていることの尊さを思うことにつながればよいなと思います。

街は人が活動するための舞台であり、
建築はその舞台を形づくる装置。
中でも「住まい」は特別で、
一人であっても複数人であっても住まい手の個性を表現し、
その人の在り方を左右し、社会とつながる役割も持つなど、
無限の可能性や役割に満ちています。

だからこんなに大切な空間はないと感じています。