SNSと私

先日、「情報をどこから得ているか?」という話題になった。

はて?

テレビもない。
SNSもほとんど見ない。
雑誌も、ほとんど読まなくなった。
読んでいる本といえば、文芸書か建築のもの。

唯一、外界との接点といえるのは新聞だ。

しいて言えば、毎日YouTubeでストレッチをするときに目に入る、いくつかの動画。
といっても、それらを一つひとつ見るわけでもない。

子どもが夢中になっているものに触れることで、世の中の流行を知る。

そんなことを振り返っていると、
この情報化時代の中で、自分が生きているのが不思議な気がしてきた。

そして2024年に、別のところで書いた文章のことを思い出した。
少し長いけれど、再掲したい。


知人がブログに、SNSから距離を置いていると書いていた。

分かるなぁと思った。
私自身、このところSNSから距離を置いていたから。

私は放っておくと、情報を取りにいきすぎる傾向があって、情報過多になってしまう。
そうすると脳内が休む暇なく働いて、心も体もいっぱいいっぱいになる。

我が家にはたくさんお話をしてくれる子がいるのだけど、その話が聞けなくなってしまう。
だからこれはまずい、と思って距離を置くことにした。

そうしたら、
自分が感じていること、こうしたいという気持ち、あるいは願い、
そうしたものが姿を表し始めたのが分かり、なんだか楽しいなという気分である。

また、目の前の人や物事に集中することが前よりできるようになって、
そういう自分の暮らしや自分自身への満足度も増したような気がする。

とはいえ、完全にSNS断ちして生きることは難しいとも思っている。
SNSで友人たちの近況を知ると楽しくなったり励まされたりもする。

自分が発信したことに共感してもらえると嬉しい。
素晴らしい作品や有益な情報に出会うと、刺激になって創作意欲につながることもある。

結局は自分の傾向を知って、心地よい範囲で、目的をもって使うことかな、という風に思う。

建築家の高橋修一さんがかつて、
外からの情報よりも自分の内側から湧いてくること、
行動することがご自分にとって大切だ、というようなことを書いていらした。

とても共感して、私もこんな風に生きたいんだった!と感じたけれど、
それから数年たって自分にちょうど良いバランスで、
ようやくそういう境地を掴みかけている気がしている。

とても心地よい状態である。


今、読み直してみても、感じることは同じだった。

この頃よりさらに、自ら情報を取りに行かなくなっているので、
その状態を、より深めてきたというべきかもしれない。

LINEやメッセンジャーなども、まとめて見るようにしている。
リアルタイムで反応できず、家族に文句を言われることもあるけれど、
いちいち反応していたら注意散漫になってしまって、
何事も中途半端になり、不満足感だけが残る。

なので、そこは譲らない(笑)。
あしからず。

ただ、人生には
外に向かいたい時期と、
内に潜りたい時期があるのではないか、と思っている。

かつての私は、ひたすら外に情報を追い求めていた時期があった。
その頃は楽しくてたまらなかったし、
いろんな世界や考え方があることも知ることができた。

どちらが良い、悪いというものでもない。

全ては、自分の心の中にあって、
外の情報は、その確認作業にすぎないのかもしれない。

今は、内側から立ち上がってくるものを、
大切にしたいと思っている。

以前手がけた住宅の改修。
リビングから庭を見る。