何かをつくるときには、たいてい意図がある。
建築でもそうだ。
「今より快適に暮らしたい」
「市民に親しんでもらいたい」
「自然と触れ合ってほしい」
「ゆっくりくつろいでほしい」
そんな思いが、空間をつくっていく。
それは必ずしも「優れた建築」や「洗練されたデザイン」という話ではない。
家具の置き方や、ちょっとした雑貨の選び方にも、その思いはにじみ出る。
それらを見て、「いい感じだな」とか「居心地がいいな」と、自分自身の感覚を通して、お気に入りの場や物事を見つけていくのだろう。
私たちは、そうした空間の意図を、思っている以上に無意識で受け取っているのかもしれない。
一方で、「こうありたい」という方向を常に見続けることは難しいと思う。
日々の暮らしに流されて、気づけば全然違う場所に着地していることもある。
今朝だって、床に散らかった子どものおもちゃやモノがあふれたダイニングテーブルを見てため息をついた。
これは望んでない…と。
理想の暮らしを思い描いても、すぐ忘れてしまうのだったら、もう頭に刷り込ませるしかないのだろうか。
意図を持ち続けるためには、はっきりしたイメージが必要なのかもしれない。
例えば、いわゆる「ビジョンボード」をつくって、家族が見えるところに飾る。
案外、視覚から入るのは効果があるかもしれない。
だって「こうなりたい」というのは今の自分にはなくて、これから育てていく要素だから。
そんなことを考えたのは、GW中に映画『メラニア』を観たからだった。
大統領就任式までの20日間を、メラニア夫人の視点で追ったドキュメンタリーである。
劇中では、衣装や会場演出を担うデザイナーやイベントプロデューサーたちが登場する。
完成された装いや空間演出はとにかく美しく、さすが超一流の仕事だと思った。
けれど同時に感じたのは、あれほど完成度の高いものは、発注者側に明確なビジョンがなければ成立しないということだった。
つくり手の技術だけではなく、
「どうありたいか」という強い意志があるからこそ、全体がひとつの世界観として成立する。
その徹底ぶりをメラニア夫人自ら体現しているのだと感じた。
まんまとプロパガンダに乗せられてしまった気もするが、面白かった。
恐るべし、演出力。
とはいえ、メラニア夫人のように徹底するのは、ちょっとしんどい。
でも、今より少し心地よい部屋にしたいなら、
自分たちがどう暮らしたいのか、どんな空間で過ごしたいのか。
もう少し明確なビジョンを持ってみる価値はあるのかもしれない。
何事も「どうありたいか」という意志から生まれていく。
それは、自分の家もきっと同じなのだと思った。
